皎天舎

《2024年9月20日放送》

◎書籍情報を記載しますので遠方の方も興味が湧いたら、お近くの書店で探してみてください。

SBCラジオ 丸山隆之の「あさまる」の中で毎月第3金曜日の放送内「Jのコラム」で本の紹介を担当させていただいています。今月の番組内で紹介した2冊の本を改めてピックアップ。


ノイエ・ハイマート

 

著 者  池澤夏樹
発 行  2024年5月
出版社  新潮社

 ギリシャやフランス、沖縄で暮らし、シリア、カンボジア、セルビアなど世界中を旅や取材でめぐってきた著者の池澤夏樹。現在は安曇野にお住まいとのこと。2001年のアメリカ同時多発テロに端を発したアメリカのアフガニスタン侵攻に際し、「難民になる」という文をメールマガジンに掲載してから20数年が経つとのことです。ある日、難民になることは、それほど遠い世界の話ではないと著者は言います。世界中で増え続ける難民を前にこれまでの経験を集約し書かれた渾身の一冊となっています。

 この小説、一人の日本人ビデオジャーナリスト「至」によって語られる、シリアから難を逃れスウェーデンを目指す難民と、その難民とともにシリアを脱出したシリア人ジャーナリストの「ラヤン」の旅を軸に進みます。ただ、それだけではなく、クロアチアの老女や満洲からの引揚者、トルコの海岸に流れ着いたシリア人の小さな男の子など、国も時代も異なる難民たちについて書かれたさまざまな詩や短編、そして引用がランダムに織り混ざって一冊の作品になっています。あたかも現代アートに触れる感覚でモザイク状に配置された散文を読み進めていく感覚です。

 タイトルの「ノイエ・ハイマート」とはドイツ語で「新しい故郷」を意味する言葉です。本書にも登場しますが、多くのシリア難民が暮らす古い労働者住宅がある再開発地域、「ノイエ・ハイマート」と名付けられたエリアがベルリンにあるそうです。「新しい故郷」とは矛盾する言葉だ、と本文にもありましたが、命が危険にさらされる状況で家を失い、国を追われた人々が新天地で築かんとする新たな故郷。故郷を失った悲しみが滲む言葉です。

 ジャーナリズムに立脚したノンフィクション作品のようでもあり、小説として描かれるフィクションでもある。おそらく、現実に難民に降り注ぐ厄災は、もっと残酷で救いのない血生臭いものなのではないでしょうか。そうした記述の方が、遠い国の話、知らない民族の話として自分と切り離され、客観的に受け入れられてしまう。本書では、必然的に時間が流れるように状況が刻々と変わっていくためか感情が抑えられているようにも思います。ただ、その方が、いつ誰の身にも起こりうる出来事として捉えることができるのかもしれません。難民のリアルな心情に思いを巡らすことができるように感じています。

特に我々日本人にとって、そして長野県民にとって、満州から引き上げる際に難民となった多くの日本人の件は身につまされるものがあります。満州に最も多くの人員をおくった長野県には、多くの物語が語り継がれています。

ロシアによるウクライナ侵攻、イスラエルのパレスチナ・ガザへの攻撃が激しさを増すなか、誰にでも起こりうることとして、「難民」の問題に触れることも、いま必要なのかもしれません。そして、平和に暮らす我々が、彼らを受け入れることでこの問題に関与する。そうしたことにも意見を持つ必要があるように思います。

絵と文  井上奈奈
発 行  2024年6月
出版社  岩崎書店

 以前こちらでも紹介した極地冒険家の荻田泰永さんが作った絵本「ピヒュッティ」を覚えていらっしゃるでしょうか。第28回日本絵本賞大賞を受賞したその絵本で、絵を担当した井上奈奈さんの新作です。こちらの本、タイトルはひらがなで書かれた「ひ」です。ご本人がずっと描きたかった「火」をめぐる、めくるめく物語です。

 ある日、森のくまが川で魚をつかまえたと思ったら、それは見たことのないいきもので……。そのいきものは森へ入ると、眩しい光を放ちます。その光は炎となってみんなを溶かしていきます。鮮烈な色使いや記憶の奥底におぼろげにあるイメージがアート作品ともいえる絵本に仕上げられています。

 著者が小さいころに、「ひ」をつかみ火傷を負ってしまったときの記憶。この最初の記憶をもとに生まれた、「ひ」そして「ひと」にまつわる荘厳で美しい絵本です。

 ちなみに、当店のキャラクター「燦」は井上奈奈さんに創作してもらいました。ブックカバーや栞に描かれていますので機会があればご覧いただきたいと思います。