《2024年3月14日放送》
◎書籍情報を記載しますので遠方の方も興味が湧いたら、お近くの書店で探してみてください。
SBCラジオ モーニングワイド「ラジオJ」の中で毎月第3金曜日の放送内「Jのコラム」で本の紹介を担当させていただいています。今月の番組内で紹介した2冊の本を改めてピックアップ。
蝙蝠か燕か
著 者 西村賢太
発 行 2023年2月
出版社 文藝春秋
皆さんは私小説ってご存知でしょうか? ”わたくししょうせつ” と書きますが、日本の近代小説に見られる作者自身の生活体験を素材にして、作者の心境を吐露した小説(というジャンルですね)になります。明快な境界はないため枠にはめるのは難しいのですが、代表的な作家は、志賀直哉や尾崎一雄、太宰治などでしょうか。自伝的要素の小説して取り上げると、夏目漱石の「道草」や川端康成の「伊豆の踊り子」なども私小説に入りますし、最近では村田沙耶香の「コンビニ人間」なども入るようです。
そして、現代で私小説家といえば、まず挙がるのが、今日ご紹介する西村賢太ではないでしょうか。
西村賢太は、自身をモデルにした”北町貫多”という架空のキャラクターを主人公にした小説を数多く残しました。芥川賞を受賞し、のちに映画化もされた「苦役列車」がよく知られています。最後の「私小説家」とも呼ばれていましたが、2022年の2月にタクシーの中で倒れ、不帰の客となりました。
自身の生い立ちや苦しい生活、やるせなさを露悪的にさらけ出し、放送禁止用語を吐き散らし、暴力的な表現も含むこれらの小説は、今の時代ではありえないような作風ですが、どれほど絶望的な状況にあっても、思わず笑ってしまうような情けなさや愛おしさがあり、その文章は端正で調子よく、不思議な魅力によって引き込ませる、他にはない面白さがあります。多くのファンが口を揃えて美しいという文体です。
西村賢太は、大正時代に活動した私小説家「藤澤清造」に傾倒し「歿後弟子」を自称していました。これはすでに亡くなっている人を模範として、そして断りもなく弟子を名乗ることなのですが、藤澤清造の文学的資料を収集し、西村賢太の編集による「藤澤清造全集」を企画したり、代表作の文庫版を自ら編集し出版したりしています。この慕いかたも半端なくて、藤澤の月命日には石川県の七尾にある菩提寺の西光寺へ20年以上も毎月欠かさずに墓参りを続けていたんです。
で、今日お持ちしたこちらの本ですが、コロナ禍を含む、ここ数年の自身を振り返り、歿後弟子の責を全うすべく新たな誓いを立てる表題作「蝙蝠か燕か」。そのほかに七尾に通い始め、部屋を借りるに至った経緯を綴った「廻雪出航」、その七尾の部屋に飾るため、清造の書簡の額装を依頼したものの、思ってもいない仕上がりになる「黄ばんだ手蹟」の三編を収録したこちらの本。最後の私小説家と呼ばれた作家の最後の原稿を書籍化しています。
西村賢太は生前、石川県七尾市にある西光寺に申し入れて、藤澤清造が眠る墓の隣に自らの生前墓を立てていました。現在は師と仰ぐ藤沢のすぐ隣で眠っています。きっと師匠と酒を酌み交わしながら、実に人間味のある、愛嬌のある笑顔を見せているのかもしれません。
実は今年の元旦に能登地方を襲った能登半島地震は、この西光寺にも甚大な被害をもたらしました。西村賢太と藤澤清造の墓石に地蔵堂が覆いかぶさるように転倒して横倒しになったそうです。西村賢太の墓には年間300人のファンが訪れるといい、ご住職はそうしたファンの方々のために早く再建たいと話していました。希代の私小説家を記憶に残すとともに、甚大な被害にあった能登で暮らす方々に思いを馳せるためにも、このタイミングで読んでよかったなと思います。皆さんにもどうぞ読んでみてください。
はるのおとがきこえるよ
文 マリオン・デーン・バウアー
絵 ジョン・シェリー
訳 片山令子
発 行 2015年2月
出版社 ブロンズ新社
冬が長い長野に住んでいると、
春の訪れがひといちばい待ち遠しいのでが、
そんな時にこの絵本を思い出します。
ふゆのおわりの夜に、ふしぎなおとが聞こえてきます。
「コツン コトン コツコツ パリン パクン パン!」
ドアの外に出てみると、庭にくまが立っていて、
「もうすぐくるよお。いっしょにいこう」とさそいます。
森の中に入っていくと、ふしぎなおとがどんどん大きくなり近づきます。
途中で出会った、うさぎやりすやビーバーも加わっておとの方へとみんなで向かいます。
このおとはいったい何だろう。色々と想像しながら読み進めてください。
予想を上回る春の訪れに驚くことでしょう。
きっと、子供も大人も笑顔が弾ける、そんな明るく素敵な春がやってきます。