皎天舎

《2023年2月17日放送》

SBCラジオ モーニングワイド「ラジオJ」の中で毎月第3金曜日の放送内「Jのコラム」で本の紹介を担当させていただいています。今月の番組内で紹介した2冊の本を改めてピックアップ。

◎書籍情報を記載しますので遠方の方も興味が湧いたら、お近くの書店で探してみてください。


この世の喜びよ

著 者  井戸川射子
発 行  2022年11月
出版社  講談社

 

 家の近所にあるショッピングセンターは、かつて娘たちが幼い頃によく一緒に過ごした場所であり、いまはその喪服売り場で働いている「あなた」。売り場に隣接するフードコートの常連、中学三年生の少女と知り合い友好を深めていきます。 少女は、幼い弟の面倒を見ることが多く、その苦労から逃避するよにショッピングセンターにやって来ては時間を潰している。そんな少女のやるせない思いや悩みに耳を傾けアドバイスをする「あなた」は、娘たちと過ごした日々を思い返していきます。

 主人公である穂賀さんは「わたし」でもあるのですが、これを「あなた」と書くことによって二人称で表現されています。こうした仕掛けが、読者の視点から穂賀さんを見守り、穂賀さんは少女を見守っているという構成の奥行きを感じさせます。 ごく平凡な日々の営みを平易な文章で描写するこの小説は、ともすると、スルスルと通り過ぎてしまいそうになる程、なんの変哲もない日常ですが、ことばそのものの力や語彙 力といった文学的な要素を一つ一つ大事に拾いながら読み進めると、より深い表現に触れることができます。 思い出すことは、世界に出会い直すこと。過ぎ去った子育ての日々の記憶が、思い起こすことで自分を通して人に伝えられ、新たな世界へと繋がって循環していく。体験や記憶の尊さが言葉にならない感情、喜びを呼びさましていきます。

 私自身が子育てをはじめたばかりだからか、いま見ている子供との景色が、将来どのように 見えるのか、振り返った時にいまやっていることがどのように感じられるのか、そうした関係性の変化と変わりゆく思いの様子を想像しながら興味深く読みました。これから積み重ねられていくささやかな一日一日が、私や子供にとってかけがえの無い体験や記憶を形作っていきま す。それがたとえ、ごく平坦な毎日の反復であっても。生きることのたわい無さをほんのりと暖かく包む、そういった静かに胸に響く小説です。

 子育てをされている方、子育てがひと段落ついた方、そうした方々にとっては、この小説に自分達の時間を重ねて振り返ることでしょう。ひょっとしたらこの小説の余韻よりも強く、その記憶をめぐることの喜びを抱くことができるかもしれません。

 先日発表された第168回芥川賞を受賞した本作。その他に2本の短編小説、ハウスメーカーの建売住宅にひとり体験宿泊する主婦を描く「マイホーム」、父子連れのキャンプに叔父と参加した少年が主人公の「キャンプ」を収録しています。

二人の目にはきっと、あなたの知らない景色が広がっている。あなたは頷いた、こうして分からなかった言葉があっても、聞き返さないようになっていく。(本書より)


 ねことことり

 作   たてのひろし
 絵   なかの真実
発 行  2022年11月
出版社  世界文化社

 きょうは あたたかくて いいおてんきです。

 こう始まる絵本を紹介します。 暖かい日があって、寒さも峠を越えたのかと思うと、またぶり返して雪が舞うといった最近のお天気ですが、 待ち遠しい春を見据えて気持ちが高めていきたいなと思っています。
新緑の緑や花々の彩りを先取りしていまいましょう。

 ある日、ねこ の家にこぶしの小枝を求めて ことり がやってきます。
ことり は毎日一本づつ枝を持って帰り、その枝で巣を作っているようです。 7日かけて7本の小枝を ことり が持って帰ると、 せっかく仲良くなったのに、それ以来 ことり はやってこなくなりました。 ねこ は、すっかり寂しくなり元気がなくなってしまいます。

 ところが、しばらくすると ことり が美しいうたと共に 新しい家族を連れて ねこ のもとを訪れました。

 ことりの囀りが聞こえてくるかのような、
花や紅茶が香り立つかのような、
通い合うこころが想像力をかき立てる絵本、 美しい細密画でドラマチックに春を感じることができる絵本です。

 作画にあたっては、長野県の八ヶ岳を訪れ取材されたとのこと。
長野の自然を誇らしくも思えてきます。