皎天舎

《2023年1月20日放送》

SBCラジオ モーニングワイド「ラジオJ」の中で毎月第3金曜日の放送内「Jのコラム」で本の紹介を担当させていただいています。今月の番組内で紹介した2冊の本を改めてピックアップ。

◎書籍情報を記載しますので遠方の方も興味が湧いたら、お近くの書店で探してみてください。


緑の天幕

著 者  リュドミラ・ウリツカヤ
発 行  2021年12月
出版社  新潮社

 

本年もよろしくお願いします。

 正月は時間が取れるので、ふだん手をつけにくい分厚い本を読むことにしているのですが、本書は小さな文字で700ページ超!の大作です。今回この本を手にしたのにはもう一つ理由があって、こちらは近代ロシア文学の人気作家、リュドミラ・ウリツカヤの著作ですが、みなさんもご心配されているように、現在ロシアは隣国ウクライナと戦争をしています。開戦して間もなく1年が経とうとしていますが、戦いが終わる兆しは一向に見えてきません。

 人命だけでなく、多くのものが破壊され失われる消耗戦にもかかわらず、なぜロシアの人々は戦争に反対し、これを止めようとしないのか。そんな疑問を持ち、ロシアの人々のメンタルを知る手がかりになればという思いで、この本を手に取りました。

 1922年に誕生し、1991年に崩壊したソビエト連邦。その指導者をレーニンから引き継いだスターリンが死去した1953年、雄大に流れる大河のようなこの物語が始まります。約70年というソビエトの歴史を通り過ぎた人々の物語です。生い立ちの異なる三人の少年が出会い、友情を育むところから始まり、多くの人々と交わることで、物語は広く深く展開していきます。

 文学にのめり込むユダヤ人の血を汲むミーハ、写真を通してジャーナリズムに目覚める私生児のイリヤ、そして音楽の才能に溢れる良家のサーシャ。文化芸術に感化され豊かな感受性を育む冒頭では、短いセンテンスでリズムの良い文体が、心地よく読者を引き込んでいきます。それと同時に、社会の根底に横たわるソビエトの息苦しい社会システムが少しずつ彼らの明るい未来を蝕んでいきます。

 ソビエトが主題だと、薄暗く重苦しい世界観をイメージしますが、華やかな帝政ロシアの時代に生まれた文学や詩の引用がたくさん散りばめられ、音楽について語られます。民族や宗教、家族観について日々の暮らしの様子を丁寧に拾い上げる文章には、悲壮感よりもどちらかといえば豊かな息遣いが感じられ、当時の市井の人々の暮らしぶりを知る手立てとなり得ます。

 文学や思想に真摯に向き合う彼らの行動は、やがて反ソビエト、反体制派と見なされるようになっていき、活動を地下へと向かわせます。盗聴や監視、密告が横行し、自由な思想が制限される社会に生きる人々の生活の危うさを感じとることができます。軍人や医師、研究者などの地位の高い人々から文学者や音楽家、教師、年金生活社、そして逃亡者や活動家、さらには子供達といったさまざまな立場の人々が登場しますが、その価値観と国家が強いる体制とのギャップに皆がそれぞれに葛藤と苦悩を持ち合わせています。

 政治的信条とは関係なく、ただ実直に自らの思いに進もうとする人々が、組織的な嫌がらせに遭い、逮捕され愛するものたちと離されてしまいます。苦悩を抱え、挫折し、人生を見失いながらも、時代と和解しようとする試みは、生きることの生々しさを浮かび上がらせていきます。

 こうした世の中を生き抜いた人々が、自身や家族の安全を心配することなく、自由な表現が許される環境の存在を信じることができるのでしょうか。独裁の様相が色濃くなり、ソビエト化する今のロシアを思えば、このような疑問が生まれてきます。単純化した善悪で測るのではなく、抑圧された社会で生きることの厳しさにも目を向けていきたいと思います。

 社会主義に込められた本来の美しい理念は、現実に置き換えられた時、残虐さと嘘にまみれ、国全体を覆う恐怖によって人々の尊厳を奪いました。戦争も同じように人々の生命と尊厳を奪っています。戦争が一刻も早く終結し、平安が訪れ、ウクライナ全土の夜を電灯が灯し、こうした素晴らしい文学を穏やかに安心して読めるようになることを願っています。私たちはただ願うことしかできないかもしれない、それでも、そこで暮らす人々のことを思い、想像力を膨らませ、寄り添うことはできる。それも本を読むことで得られる知る力だと思います。

最後に、本文よりこちらを抜粋して紹介します。

もしかすると、美や真実や、あるいはそれ以外の素晴らしくてつまらない何かが世界を救ってくれたとしても、やはり恐怖は何よりも強く、恐怖が全てを ーー 美の萌芽や、素晴らしきもの、賢明なるもの、永遠なるものの全ての芽生えを ーー 滅ぼしてしまうかもしれない……。後々まで残るのはパステルナークではなくてマンデリシュタームなのだ。なぜならば彼の方が時代のおぞましさを強く映し出しているからである。一方パステルナークは、時代と和解し、肯定的な形でこの時代を説明しようとし続けたのである。

恐怖の霧が消え去ることを、美や真実が世界を救うことを願って。
そして、多くのロシア文学に触れることができ、音楽などの芸術が交差するこの小説、生きることの逞しさ、その輝きを堪能できるこの小説が、多くの人に読まれてほしいと思います。


 情熱の薔薇

歌 詞  甲本ヒロト
 絵   ダイスケ・ホンゴリアン
発 行  2022年12月
出版社  リットーミュージック

「情熱の薔薇」と聞けば我々世代にとってはこれしかありませんよね、ザ・ブルーハーツ。

この曲がテレビドラマの主題歌になり、毎週お茶の間に流れていたことを思い出します。当時たくさんあった音楽番組にもよく出演していました。金髪の甲本ヒロトがマイクスタンドを蹴飛ばし、激しく首を振って叫ぶように歌う情熱の薔薇は、彼らの他の楽曲と同じようにさまざまなアーティストにカバーされ、今の若者にも広く知られています。

当時の大人たちは、怪訝な顔をしていたように思いますが、その歌詞をよく読むと、激しさとは裏腹にとても繊細で、優しく儚い思いに包まれています。

詩をあまり読まない人でもこの歌詞をそらで言える人は多いのではないでしょうか。

この詩がポップな絵と重なり、そのビビッドな色合いが目に飛び込んできます。あの頃を思い出すためにページを開いてみませんか?