皎天舎

ー 2022年3月15日放送 ー

SBCラジオ モーニングワイド「ラジオJ」の中で毎月第3火曜日の放送内「Jのコラム」で本の紹介を担当させていただいています。今月の番組内で紹介した2冊の本を改めてピックアップ。

◎書籍情報を記載しますので遠方の方も興味が湧いたら、お近くの書店で探してみてください。


ボタニカ

著 者  朝井まかて
発 行  2022年1月
出版社  祥伝社

日本の植物学の父と呼ばれる牧野富太郎の生涯を描いた物語。彼が後世に残した功績はいかにして生まれたのか。植物への熱すぎる想いと素晴らしい文献とは裏腹に、奇人変人と呼ばれるようになったのはいったい何故なのか。

江戸時代末期、現在の高知県佐川町の造り酒屋の一人息子として生まれた富太郎。両親を早くに亡くし、祖母の手で何不自由なく大切に育てられます。小学校に通うも、そこで学ぶ事は何もないと途中でやめてしまい、家業の酒屋事業はほったらかしで、野山に分け入っては植物のスケッチと採集を繰り返す日々。年相応になって祖母の言いつけ通りに従兄弟のナオと所帯を持ったはいいものの、興味の先は植物のみ。研究の為にと上京したのを機に東京と故郷を行ったり来たりでナオとの時間は減ってくどころか、東京で出会った女性スエとも関係を持ち、子まで設けて一緒に暮らすように。しかも実家が裕福なのをいい事に、研究のためにとお金に糸目をつけず、好き放題に本を買ったり、日本全国はたまた海外まで植物採集に行ったり、出版する本の費用まで全て実家のナオに金策を頼み続け、とうとう実家の酒屋を潰してしまいます。ナオと離婚してもまだ植物への探究心は止む事なく、金策に奔走したスエが作った借金は気づけば3万円を超えるほどに(今でいうと5千万円以上らしいです)。スエとの間にできた子供は13人(大人になるまで育ったのは7人)。それでも献身的なスエに支えられ、富太郎は生きがいである植物への情熱の火を生涯消す事なく邁進し続けます……。

いやいや、ちょっと待って!植物をこよなく愛し研究に身を尽くし、さぞ立派で心穏やかで紳士的な人物像を想像していた(勝手に)私はページをめくるたびに驚きが止まりませんでした。無一文なのに子沢山、「なんとかなるろう」と悠長なことを言っては借金ばかりが膨れ上がり、学歴もないので出世も肩書きも手に入れられず、本人以外の周りの人がどんどん苦労しているのに、本人だけはつゆ知らず。それでも文句の一つも言わないスエとナオに支えられ……奇人変人ってこういうことか!と、読んでいて笑ってしまうくらいにダメ人間に思えてくるのに、それでも牧野富太郎という人物を嫌いになれず、むしろ愛おしく魅力的に感じるのは何故なのでしょう。
それはきっと当時彼の周りにいた人々も同じだったのかもしれません。彼の植物への愛情や情熱が人々を惹きつけ、だからか、崖っぷちに立たされると必ず手を差し出してくれる人が現れるのです。献身的に支え続けたスエとナオも同じで、自分の事よりも何よりもまず一番に富太郎を優先し、富太郎の研究のためにできる事を一生懸命探し続け、むしろそれが生きがいだと思っているようにさえ感じます。まさに内助の功とはこの事で、彼女たちの存在あっての、研究に身を捧げた牧野富太郎なのです。

牧野富太郎の遺した功績、それはもちろん彼自身の努力と情熱の結果かもしれませんが、それは同時に彼の周りで彼を支え続けた人々の功績と言えるのかもしれません。男性の力・役割、女性の力・役割がはっきりと区別されていたこの時代ですが、この物語はその枠にとらわれない、夫婦の力の素晴らしさを伝えてくれる物語です。

牧野富太郎は来年のNHKの朝ドラにもなるそう。彼の生涯がどのように描かれるのか、今から楽しみです。


火は早めに消さないと

原 作 トルストイ
 作   柳川茂
 絵   小林豊
発 行  2007年11月
出版社  いのちのことば社

ほんの些細な出来事が原因で巻き起こった大惨事。
悪いのは誰なのか?この争いを防ぐことはできなかったのか?

隣同士に暮らしている、ガブリーロとイワン。両家族ともに昔から仲が良く父親の代から互いに助け合って過ごしていました。ところがある日、イワン家のニワトリがガブリーロ家で卵を産んでいたという事がきっかけで、その卵の所有権を巡って本人はおろか家族総動員での喧嘩が始まります。

問題が起こるたびに病床にふけって寝たきりのイワンの父が「くだらねえ事で大騒ぎするな」「ケンカなんてもんは片方だけが悪くて起きるもんじゃねえ」「さっさと謝っちまえ」と諭すのですが、イワンは一向に耳をかしません。それどころかお互い「自分の方が正しい」と意見を譲らず相手を傷つけ続け、双方の怒りはどんどんと膨れ上がり、とうとう裁判沙汰にまで発展し、最後には村全体を巻き込んでの取り返しのつかない大惨事が起こってしまうのです。

誰かが誰かを傷つけて、その誰かがまた別の誰かを傷つけ、そうして膨らんでしまった収める事の出来ない怒りが遺したものとは、そしてこの争いが生んだもので一体誰が幸せになったのでしょうか。

たかが卵1個で大げさなと思うかもしれませんが、人と人が争うきっかけは案外そんな些細な事なのかもしれません。自らを省みて、自分の言い分は合っているのか、他人を傷つけていないか。自分はちゃんと過ちを認める事が出来ているのか、人の謝罪をきちんと受け入れる事が出来ているのか。それらはとても簡単そうに思えて実は難しい事なんだと思います。クラスの中で起きている出来事、家庭の中、会社での事、国を跨いでの争い……

いま私たちの身の周りで起きている様々な争いや紛争、そうした出来事を改めてこの絵本を通して考えてみると、立ち返る部分が多くある気がします。
原作はトルストイの「民話 人は何で生きるか」の中の「火を消さずにおくと」に載っているそうです。それまでトルストイが世に送り出してきた「戦争と平和」や「アンナ・カレーニナ」とは少し違い、民衆に理解される言葉や表現で、分かりやすく書こうと決意して世に送り出されたのがこの民話集だそうです。人の心の中にある愛について語った民話が多編収められています。きっかけがあればそちらもぜひ読んでみてはいかがでしょうか。